金継ぎ・金継宗家

日本の伝統文化の茶の湯では、壊れた茶碗を金継ぎして、
金蒔絵を施した傷の繕いを一つの文様として、
器の美しい景色と見立て、「金継ぎ」は単なる器の修復にとどまらず、
芸術として鑑賞されてきました。

ポイント

写真1

私が金継宗家 宗匠 塚本将滋として、「金継ぎ」教室を開く事になった経歴をお話しますと、私の先祖の故郷の彦根に戦国大名の彦根藩の城主、 井伊直政が身に付けた武具[井伊の朱備(いいの あかぞろい)]という朱漆塗の甲冑に私が出会ったことに始まります。この甲冑は鉄で加工された上に、金胎漆芸の技術で錆び止めの為に堅牢に高温で漆を焼付け、更に加飾の朱漆塗が施されたものです。私が幼少の時に[井伊の朱備]を見に連れていってもらいました。私は何故か、甲冑の美しい朱の色と漆塗りの質感(クオリア)にすっかり魅せられてしまいました。まさに”三歳の魂は百歳までも”で、私は後に、その時の感動の記憶に導かれ、東京芸術大学に進み、彫金と漆芸を学びました。そして、明治維新の廃刀令により途絶えてしまった金胎漆芸の技法を研究し、独自の金胎漆芸の技術を発明し、40年前から漆アートの仕事をする運命となりました。

また、私が日本伝統の蒔絵の技術を修得して、20才代から「金継ぎ」を始めた動機は茶道を遠州宗家の直門(庵号:好得庵 塚本宗志)として学び、小堀遠州「綺麗さび」の茶の湯を通して、江戸時代初期の芸術家 本阿弥 光悦作の赤楽茶碗の「雪峰」(畠山美術館蔵)に運命的に出会ったことによります。

本阿弥 光悦は室町時代以来の刀剣の研磨、鑑定、浄拭(ぬぐい)を家業とする名家に生まれた富裕な町衆で茶人であり、●絵画は王朝美の大和絵の琳派の代表。●書は「伊勢物語」嵯峨本の光悦様の名筆。●蒔絵は「舟橋蒔絵硯箱」彫金した金、銀、鉛の象嵌文様。●陶芸は楽焼茶碗「不二山」国宝の作者で、江戸時代初期に多才な芸術家、そしてアートディレクターとして活躍した人物です。赤楽茶碗の「雪峰」は失敗作の窯傷を金蒔絵で繕ってあり、茶人である光悦が窯傷を茶碗の景色と見立て、単なる金繕いから、金継ぎとしての造形美へ高めた記念すべき芸術作品です。

私は、この「雪峰」を「金継ぎ」の手本として40年間、技を研いてきましたので、当然の様に、本阿弥光悦を金継宗家の流祖と思って崇めてまいりました。そして、我が流儀の「金継ぎ」を芸術の域に高めるために日々精進し、正当な「金継ぎ」を広く後世に伝承させることが私の使命と思うようになりました。

金継宗家 宗匠 塚本将滋

志野破れ袋・水指

「志野破れ袋・水指」
小木曽教彦 作  金継ぎ:塚本将滋

JAPAN VIDEO TOPICS

日本の文化紹介ビデオとして紹介された「金継宗家」をYouTubeにて7カ国語バージョンで公開中。

Mottainaiが育てた修繕技法

When Mending Becomes an Art
【Japanese Urushi Art】

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