日本産の漆

日本では漆の樹は縄文時代のころから、人里に近い里山に植栽されていたことが、最近、三内丸山遺跡の森の痕跡から明らかになりました。また、四千年以上も前の縄文時代の地層からこの漆の樹から採取した漆を塗った土器、朱色の漆塗りの櫛などが、ほぼ原形を保って出土しています。想像を超えた長い時の経過後も、漆が色艶を完全に残す生命力には感動し、心が癒されます。漆の美と生命力は偉大です。

漆の樹は日光のエネルギーを使い、光合成により、酸素を放出するだけではなく、天然樹脂塗料の樹液を作ります。葉が茂って光合成の活動が盛んになる夏の季節に、漆の樹の幹の内皮に人為的つけられた傷から樹液を掻き取り、精製して作ったものが、環境にやさしい、天然樹脂塗料の漆です。

漆が乾くのは、温度25℃、湿度70%程の空気の雰囲気の中で、漆の主成分ウルシオールが酵素ラッカーゼの働きによって、酸素を取り入れて反応し、重合して固まる為です。乾いて固まった漆の塗膜は独特の柔らかい質感(クオリア)を持ち、美しい色艶を持っています。漆の皮膜は非常に強く、酸やアルカリなどの化学薬品にも侵されず、長期の使用に適しています。漆は使えば使うほど、輝きが増し、5年何10年と年月が経過するほど、漆はより透明になり、色漆が鮮やかさを増します
(ただし、漆の弱点は紫外線に弱いことです。長時間太陽光線に直に当たると漆は劣化して艶を無くします)。

一方、ラッカーなどの合成樹脂塗料は溶剤のシンナーが揮発して乾くもので、短期間の消費を目的とした製品に使われます。今日人類はエネルギー,又、合成樹脂塗料や溶剤のシンナーを含めた多くの製品を化石燃料の石油に依存しており、これらは深刻な地球環境破壊、地球温暖化などをひき起こす元凶となっています。

japanは英和辞典で日本、漆、漆器と訳されています。
中国を表すchinaは磁器と訳されます。中国産の磁器がヨーロッパへ渡り、王侯貴族を魅了して、時の王侯が磁器づくりを錬金術師に命じて、発明したのが、ボーンチャイナです。
同じように、江戸時代に日本の黒呂色漆を使った黒呂色鏡面仕上げ塗りの家具、調度品が18世紀頃ヨーロッパへ渡り、その美しい黒い鏡面塗りは、王侯貴族を魅了し、そして、時の王侯が錬金術師に命じて、鏡面仕上げ黒呂色塗りを真似て開発させたのが、グランドピアノに施した、黒ラッカー塗り鏡面仕上げのピアノ塗装なのです。

江戸時代の日本全土の漆の年間生産量は約2,000トン有りましたが、明治維新で藩が解体され、各藩の漆の増産奨励政策が無くなり、殿様の漆の調度品の需要が無くなり、廃刀令で、武士の漆塗りの武具の需要がなくなり、等で明治時代に入ってから日本産の漆の生産量は急速に減少し続けます。以後、価格の安い中国産の漆の輸入が始まり、1960年には日本産漆の年間生産量は約20トンです。

現在は、日本は漆の年間消費量の99%(約200トン)を中国から輸入していて、なんと、日本産漆の生産量は漆の年間消費量の1%(約2トン以下)です。

現在の日本産漆の主な産地は岩手県の浄法寺地域と茨城県の大子地域です。日本産の漆は高品質で主に高級漆器に使われますが、生産量が少なく、価格は大変高価で、中国産の漆の値段の10数倍の価格です。

最近では、漆器は製造工程が非効率で生産コストが高い等の欠点が有り、グローバルスタンダードな現代の生産者及び、消費者思考にそぐわないという理由で、漆はますます使用されなくなりました。そして本物の漆器の代わりに、見た目が漆に似ている、石油が原料の、ウレタン合成樹脂塗料塗りの漆器が大勢を占める状況です。そして、本物の漆器を知らない消費者、特に本物の漆器を知らない子供達が大勢いる日本になってしまいました。

日本では現在、価格の高い日本産の漆の需要の減少、漆掻き職人の高齢化と後継者不足などが原因で、漆の木を里山に植林して育て、漆を採取する伝統的職業が成り立たなくなってきています。日本産の漆は存亡の危機的状況におかれているのです。

今、私達は地球環境破壊、地球温暖化問題などで、早急に循環型の社会を再生させることが求められている状況です。つまり,天然の材料を使って,本物の製品を作り,長期間使用する。江戸時代に栄えた漆の文化は正に,省エネルギー型の地球環境と人間に優しい、循環型の理想的社会でした。里山に漆の木を植林し、育て、漆を採取し(農村での労働を提供する)天然素材を使って、代々使われるような本物の漆塗り製品を作る。このような日本の漆の文化を再生することは、求められている省エネルギー型の循環型の社会を作るのに役立ちます。

今こそ、漆、特に、日本産の漆を使って、今の時代の感性に合った本物の漆塗り製品を創造して、そうした漆塗り製品を今の消費者のライフスタイルに取り入れてもらうように、我々漆に携わる生産者は積極的に働きかけをしていかなければなりません。まず、今の消費者に実際に使ってもらい、本物の漆塗りの美しい色艶と質感を体感していただくことが大切です。

私は現代の美術工芸家の一人として、日本産の漆を使うことにこだわり続けて、従来の漆器のあり方に留まらず、コンテンポラリーで斬新なモノづくりに精進し、インテリアデザイン.漆アート.漆アートジュエリー[漆彩彫金]作品を創造してきました。それらの私の作品を通して日本の漆文化の美しさ、素晴らしさを広く世界の次世代に伝えることがこれからの私の使命だと思っています。

美術工芸家 塚本尚司

漆の木

漆の木

漆掻き

漆掻き

漆掻き(塚本尚司)

漆掻き(27才頃の塚本)

このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。